2021年2月たまかわ便り
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ができ、大変嬉しく思います。これまでの人生を振り返ると、多くの出会いや別れを繰り返し、たくさんの勇気や優しさ、笑顔に触れ、自分なりに充実した日々を過ごしてきました。るさと玉川村を離れました。離れてみて初めて気付いたことがあります。それは、私は玉川村が本当に好きだということです。私の大好きなふるさとには多くの美しい自然がありまこの度、無事成人式を迎えること昨年、大学進学を機に、初めてふだと思います。十代の頃は都会に憧れもありましたが、都会にはない良さが、ふるさとには沢山あることに気付き、それらが私の誇りとプライドになっています。また、お世話になった恩師や地域の方々、共に喜び、励まし、夢を語り合った多くの仲間たち、いつでも温かく見守ってくれた家族、そしてこれまで出会った全ての方々に心からの感謝を伝えたいと思います。最後になりますが、これからの人生は思い通りにいかず、困難なことも多々あると思いますが、いつも感謝の心を持ち、自分に厳しく、人に優しく、常に心配りができるよう心掛けて生活していきたいと思います。そして私に大きな夢と大きな愛を与えてくれた家族、仲間、そしてふるさとの恩に報いるためにも、将来の目標に向かって、一歩ずつ着実に前私は、成人を迎えるにあたって改めて二十歳という年齢について考えると、お酒を飲んだり、たばこを吸ったりできるということが最初に思い浮かんだが、子どもから大人と自分や周りの認識が変化する節目の年であるという意味合いが大きいと思う。しかし、私自身まったく大人になったという実感がわかない。やはり、いろいろな面で家族に頼っていることが大きいと思う。私は、現在東京ロナウイルスの影響により実家ででオオンライン授業を受けている。本来来でであれば、アパートで一人暮らしををしして、朝昼晩の食事はもちろん洗濯濯濯ややや掃除などの家事も全て一人で行わわななしが続いているためそれら全てを家族に頼る形となっている。私は、大学で教育学を中心に学んでいて将来は、高校の社会科の先生になりたいと考えている。しかし、新型コロナウイルスがいつ収束するかも分からない上に教員採用試験に合格できるかどうかも不安である。私には、教師になった時の目標がある。それは、生徒の人間性を育てることだ。今まで小中高と様々な先生に出会ってきて、色々な体験をさせてもらったり、色々な話を聞かせてもらったりしたが、それらの経験は私に多くの影響を与えていたと思う。 今度は、私が教える立場となって生徒が成長するための手助けとなる存在になりたい。私は、一度決めたことを曲げられない頑固な性格なので、 特に進路に関しては、両親に沢山の苦労を掛けてしまっていた。両親は、最初のうちは反対するものの最終的には自分の意思を尊重して、いつも自分のやりたいようにやらせてもらい感謝してもしきれない。この成人という大きな節目を契機に、少しずつ自立していき今までかけてきた苦労の何倍もの恩返しを、両親に親孝行という形でこれからしていきたい成人という、大きな節目を迎える事が出来たことを大変喜ばしく思うと同時に、これまで私を育ててくれた両親を始め、多くの方々に改めて感謝を伝えたいと思います。長いようで短くも感じられる二十年間が、遠い過去のように過ぎ去った今、何の実感も湧かないままではありますが私は大人となりました。二十歳の自分はどんな人間になって、どんな事をしているのだろうか。きっと二十歳になればこれまでと何か変わるのだ。そう、子供心に思い描いていた大人の想像図と、実際の自分を見比べささはは間違いなく日本一、いや世界一ななさっさってららいにま、す何。と言っても米のおいしがが、、知知らない間に私の大きな財産にたた景景色色や何気なく過ごしてきた日々まますす。。今まで毎日当たり前に見ていはは言言い表せない温かい気持ちになり過悩過悩んんごごだだし時たや日落々ちを込思んいだ返時すにと玉、言川村葉葉村ででででで懐懐かかししく愛おしく感じます。今でももも、、のいすのい。窓ま窓ま通かす学。ら特の見に際て中にい、村た何池景気の色な桜なく並ど見木、てやといいっ教てて教たたて室も室もも室景景色色の一つ一つに思い出が詰まってよようう精精一一杯杯杯努努力力ししまますすす。。進進し、悔悔いいのの残残らなないい人人生生を送れる         3けのれ私ば立な大ら学なにい通がっ、て未いだるにが実、家新暮型暮型コオでしややならららコらコとと思思うう。。野崎慎之介(川辺)須藤愛香(川辺)坂本大夢(川辺)はたちの感想文成成人人をを迎えて二二十十歳歳になって私私ののふふるさと

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