てみると、大分想像していた姿とはかけ離れてしまっています 案外すんなりと訪れてしまって、未だに自覚も実感も湧いていないような状態です。年とは違う形での成人式を迎える事になってしまいましたが、たくさんの人との出会い、それを上回る支えがあり、私自身少しずつ成長することが出来ました。ここから一つ一つ積み重ね、名実ともにしっかりとした大人になれるよう、自分は立派な大人であると胸を張って言えるよう、これからもより一層気を引き締めて精進していきたいと思います。人になっている。』なったら勝手に大人になっていると思いこんでいた。父や母、兄のように仕事をして自分の趣味を見つけてまだまだ先だと思っていた成人が、コロナウイルスの影響により、例未だ何もない私ではありますが、 当時中学生だった私は二十歳に人生を謳歌できると信じていた。中学生の私からしたら少し遠い未来の話だった。中学の仲間と別れ、高校生になった私は、他人と如何に仲良くなれるか色々試し、生徒会での活動を通し社会性を学び、バドミントン部に入ることで、バドミントンという趣味をみつけることが出来た。自動車学校にも通い、少しずつ大人に近づいていく感じがした。進学先を決め、私は高校を卒業した。私は、こども園で働く保育教諭になるために大学へ進学した。そこでは同じ高校だった子はいれど、小さい頃から一緒だった友人は誰一人いない大学だった。最初は不安になったり心細かったりしたけれど、友人もできて大学二年のいまでも楽しく過ごしている。しかし、私は思う。今年の七月で二十歳になったが、私は中学生の私が思い描いていた二十歳の大人になれているのか、周りの同い年の子で社会人になっている人は何人もいる。正直な所、二十歳になって何が変わったかと言われたら、お酒が飲めるようになったぐらいしかない。「大人になるってなんだ。」最近ずっと考えている。仕事をしたら大人なのか、物静かだったら大人なのか、そんな事を考えながらみんな大人になっていくんだろうか。難しいことを考えていたが、これから大人になるために何かをするとかは特に考えていない。周りの子で子どもっぽい人などいくらでもいるし、その人達を反面教師にするくらいの気概でいよう。後は楽しんだもの勝ち、そう考えていくことにした。大人はきっと自由だ。これからいろいろなことに挑戦してみよう。私には二十歳の抱負が二つあります。それは、今よりも自立すること、周りが見える人になることです。それにはそれぞれ理由があります。まず一つ目の自立する事では、私は大学生になり、多くのことを経験することが増えました。一人前の社会人として責任と自覚を持ち、何事にも頑張っていきたいと思います。二つ目は、周りが見える大人になることです。大学での実習やアルバイトをしている中で、様々な方と接する機会が多々あり、その中でもたくさんの刺激を受けました。実習先の先生、アルバイト先の方々は、いつも周りが見えていて良い雰囲気を作ってくださり、自分のできることを精一杯されていたり、細かいところまで周りに気を配られていたりととても尊敬でき、学んだことがたくさんありました。社会に出たら様々な人に出会い、今よりも理不尽なことに遭遇することもあると思います。その時、どのように対処できるかが人間性を問われるところだと思います。過去の失敗や成功、様々な方と交流した経験を活かして、自分が理想とする大人になれるよう、日々精進していきます。最後に家族のみんなへ私がいつも笑顔で楽しくいられるのは、みんなが居てくれてたくさん笑わせてくれるからです。なんだかんだ言って私はみんなが大好きです。これからもたっくさん笑って楽しく過ごそうね。いつもありがとう。これからもよろしくお願いします。 「孫が二十歳を迎えたなんてじいちゃん、ばあちゃんは幸せ者だなぁ。」誕生日の朝、祖母が声をかけてくれました。本人は覚えていないかもしれませんが、この言葉で私の心はとても温かくなりました。生きていれば自然と迎えるこの節目を、自分の 『二十歳になったらきっと立派な大44広報たまかわ 令和3年2月鈴木 翔(中)吉村綾香(南須■)遠藤玲奈(竜崎)二二十十十歳歳歳と大人目目標標二二十十歳歳を迎えて
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